昔、ITインフラの仕事をしていた。
OSをインストールしたり、ミドルウェアを設定したり、データベースを構築したりすること自体が、ひとつの専門性だった時代だ。
当時は、それができることに価値があった。
ところが技術が進歩すると、そういう仕事はどんどん簡単になっていった。
今日、久しぶりにWordPressのサイトを立ち上げてみた。
以前なら、データベースを作って、設定ファイルを書いて、サーバへファイルを配置して……と、それなりの時間がかかったはずだ。
それが今では、数分だった。
さらにAIに画面を見てもらいながらデザインを調整すると、昔なら半日かけていたような作業まで、驚くほど短時間で進んでしまう。
少し怖いくらいだ。
でも、考えてみると、これは初めての経験ではない。
技術の進歩は、それまで「専門性」と呼ばれていたものを何度も陳腐化させてきた。
そのたびに、
「自分が今まで覚えてきたことは何だったのだろう」
という気持ちになる。
でも、最近は少し違う見方をするようになった。
そもそも、本当にやりたかったことは、OSをインストールすることだったのだろうか。
データベースを設定することだったのだろうか。
たぶん違う。
本当にやりたかったのは、そのインフラの上に何を作り、誰にどんな価値を届けるかを考えることだった。
テクノロジーが面倒な仕事を引き取ってくれるなら、本来は喜ぶべきことなのかもしれない。
問題は、その結果として空いた時間を、何に使うかだ。
そしてもう一つ思う。
個別の技術や手順は古くなる。
けれど、その技術を学び、使い、失敗し、やがて手放した経験から身についたものまで消えるわけではない。
構造を見る力。
知らないものを学ぶ方法。
問題を分解する習慣。
新しい技術を、過去の何かと結びつけて理解する感覚。
そういうものは残っている。
もしかすると「専門性」とは、知っている技術の名前ではなく、
「何度でも専門性を作り直せる力」
なのかもしれない。
そしてAIの時代には、また次の専門性が壊されていく。
それでも、その先に何が残るのかを見てみたい。
それが今、少し楽しみでもある。

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