自分のノウハウをAIに載せたら、自分が不要になる?――60歳の専門職が直面したAI時代のジレンマ

最近、少し言いづらいことを考えている。

私は今、Salesforceの特定領域について、AIエージェントから利用できるMCPを開発している。

これが完成すれば、今まで専門知識が必要だった作業の一部を、経験の浅い人でもAIの支援を受けながら実行できるようになる可能性がある。

会社にとっては良いことだ。

生産性が上がる。

人材不足にも対応できる。

若手の立ち上がりも速くなる。

ところが、ふと考えた。

それを全部渡してしまったら、私は何のためにいるのだろう。

私は60歳になった。

今も会社員として、それなりの報酬を得て働いている。

その報酬の背景には、長年積み重ねてきた経験や、ある程度希少な専門知識もあるだろう。

しかしAIは、その希少性を急速に壊していく。

以前なら何年も経験しなければ習得できなかった知識を、MCPやSkillsやAIエージェントへ実装してしまえば、他の誰かが短時間で利用できる。

これは素晴らしいことでもある。

同時に、専門職本人にとってはかなり残酷な話でもある。

AIを使わなければ、AIを使う初心者に追い越される。

しかし、自分のノウハウをAIへ載せ、誰でも使えるようにすれば、自分自身の希少価値が下がる。

では、知識を隠しておけばいいのか。

それも長くは続かない。

AIが別の誰かと同じ方法を再発見する可能性があるからだ。

逆に、すべてを無条件に共有して、

「これで皆さんも私と同じ仕事ができます」

と言うのも、会社員としての交渉力を自分から手放しているような気がする。

この間には、かなり広い領域がある。

何を共有するのか。

どの段階で共有するのか。

どこまで標準化するのか。

何を自動化するのか。

何を自分の次の役割へするのか。

私は一時期、

「MCPのメンテナンスだけは自分しかできない状態にしておけば、当面仕事はなくならないのではないか」

とも考えた。

確かに短期的には合理的かもしれない。

でも、すぐ別の問題に気づいた。

それでは、自分の雇用を守るために、自分が嫌な仕事から永遠に卒業できなくなる。

MCPの保守は、それなりに面倒だ。

AIがかなり作業してくれるとはいえ、結局PCの前でログを見たり、仕様変更を追ったり、テストしたりする。

何十年前にOSやミドルウェアの面倒を見ていた頃と、本質的にはあまり変わらない瞬間もある。

AIと一緒に新しい仕事を作りたかったはずなのに、気がつけば「MCP保守の第一人者」になっている。

それは、私が望んでいる未来ではない。

では、何を守ればいいのか。

最近、一つの答えが見えてきた。

守るべきなのは、作業ではなく、次の問題を定義する能力なのではないか。

MCPを操作する仕事は渡す。

テストや定型保守も渡す。

MCPをどう作るかという方法も、成熟したら共有する。

その代わり私は、

Salesforce開発のどこを次にAI化するのか。

どのAIソリューションを作れば事業になるのか。

人とAIをどう組み合わせるのか。

どの仕事をなくし、どの仕事を新しく作るのか。

を考える側へ移る。

だから目指したい状態は、

「私がいなければMCPを直せない」

ではない。

MCPを直せる人は何人もいる。

でも、次に何を作れば価値になるかを考え、AIと人を組み合わせ、組織を動かして実現する役割を担っている。

という状態だ。

これは綺麗事だけではない。

会社員として生きている以上、自分の市場価値や報酬を守る必要もある。

知識移転の速度も、自分で考える必要がある。

ただ、長期的な競争力を「私しか知らない秘密」に置くのは、AI時代には危険なのだと思う。

秘密はいずれ陳腐化する。

その代わり、

自分自身が常に次の問題へ移動できること。

そこに専門職の新しいMoatを作れないだろうか。

60歳になって、こんなことを考えることになるとは思わなかった。

でも、AIが専門性そのものの意味を変え始めている以上、若手だけではなく、むしろ長く専門職として働いてきた人ほど、この問いから逃げられないのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました